こんにちは!
この度、2025年9月にくずははやぶさ歯科こども歯科クリニックを開院します
院長の田辺裕景(たなべひろあき)です。
枚方くずはで育ち、報徳幼稚園、殿山第二小学校に通っていました。
歯医者を目指すようになったきっかけは小さい頃、くずはの小児歯科に通って虫歯予防や矯正治療を受けるうちに、「自分もこんな風に歯医者になって、みんなの笑顔を守りたい!」と思ったことです。
子どもの頃は体育の授業でジャングルジムに登れず泣いてしまうほど運動が苦手でしたが、食べることだけは誰にも負けず、給食も晩御飯もいつもお腹いっぱい食べていました!これも虫歯が一つもなく、よく噛める歯ならびのおかげです!
小学生の頃にはいつか地元で開業して、虫歯のない健康な歯を持つ人を増やし、美しい歯並びで噛む幸せを知ってもらえるような歯科医師になりたいと決意しました。
そして、広島大学歯学部を卒業し、念願の歯科医師になることができました。
大学卒業後は、なんばにある歴史ある小室歯科なんば診療所で審美治療やインプラント、歯周治療、矯正治療、さらに枚方市内の歯科医院では小児歯科と小児矯正治療を中心に経験を積み、医院運営の勉強も重ね、ついに地元くずはで歯科医院を開業致します。
くずははやぶさ歯科こども歯科クリニックは、0歳の赤ちゃんからお子さま、大人や高齢者まで皆さまに笑顔と健康をお届けできるような歯科医院を目指しております。全力で取り組んでまいります!これからどうぞ末長くよろしくお願いいたします!
院長 田辺 裕景
Tanabe Hiroaki
私の歯科医師としての原点は、幼少期の体験にあります。曾祖父が歯科医だったこともあり、母は「虫歯にならないように」と日々のケアをとても大切にしてくれました。仕上げ磨きは嫌で泣いていた記憶もありますが、焼き芋屋さんの音楽が聞こえると、「おへそを取られるよ、歯磨きしよう!」と笑いながら誘ってくれた、そんな微笑ましい思い出が今でも心に残っています。
6歳の頃からは、枚方のくずは駅前にあった小児歯科専門医院に弟と一緒に通っていました。
そこでは、子どもが通うのを楽しみにできるような工夫がたくさん施されていて、私自身も「次の歯医者はいつ?」とワクワクしていたほどです。
12歳まで矯正治療も受けながら通院を続け、自然と「この先生みたいになりたい!」と思うようになり、歯科医師を志すきっかけとなりました
今、私はその医院での体験をもとに、くずははやぶさ歯科こども歯科クリニックを立ち上げました。
小児歯科における取り組みの多くは、その医院の温かい記憶と工夫を受け継いでいます。子どもたちが「また行きたい!」と思える場所、そして大人になっても記憶に残るような医院を目指しています・・・
私の小学生時代、父は土日も仕事で忙しく、家族全員で過ごす時間はほとんどありませんでした。
宿泊を伴う家族旅行もなく、食事の時間もゆっくりと話すことは少なかったように記憶しています。日々の忙しさに少し寂しさを感じつつ、それでも父がたまに河川敷で野球をしてくれた思い出は、今でも心に残っています。父との数少ない時間に、どれほど心が温まったかを今でも強く感じています。
中学受験を控え、塾に通い始めた頃、父は仕事の合間を縫って迎えに来てくれました。毎回、遅くまで仕事に追われていたはずなのに、帰り道、一緒に歩きながら夜空を見上げて話したことは、今でも鮮明に覚えています。その時、父の背中を追いかけながら、「いつか自分も父のように、人を支える存在になりたい」と強く思ったものです。父が忙しく働く姿を見て、私は寂しさの中でも、無意識にその背中を追い続けていました。それが私の原動力になり、今も日々、患者さまと向き合う中で、父が教えてくれた「支える力」を大切にしています。
中学・高校時代は、バスケ部に入り部活に励みながら、勉強もしていく毎日で、青春は勉強と部活の両立でした。部活では主務を任せていただき、部活の運営にも携わることができました。学校全体が勉強に真剣に取り組む雰囲気だったこともあり、必死にそのペースについていったのを覚えています。部活を高校2年生の夏に引退した後は、土日や正月も学校に通い、夜遅くまで勉強し、歯学部を目指して必死に努力しました。勉強も部活も、一人で頑張ることはしんどかったですが、一緒に頑張ってくれる仲間や友達がいてくれることで、乗り越えられました。
中高の時に頑張った仲間たちは今でも大切な財産であり、今でもたまに会ってお互いに刺激をもらえる関係です。何にでもがむしゃらに全力で取り組む姿勢が身についたのは、まさに中高時代の経験が大きかったと感じています。この時期に培った努力の精神が、今の私を支える力となり、どんな困難にも立ち向かう姿勢を作り上げてくれました。
歯科医師を目指し、歯学部を受験したものの、結果は残念ながら不合格。そこで私は予備校に通いながら、再び挑戦を決意しました。地元の駅で、歯学部に通う学生たちとすれ違うたびに、心の中で「1年後は絶対に自分もこの場所に立ってやる!」と強く誓いました。
浪人という道を選んだものの、「歯医者になりたい」という気持ちは全く揺らぎませんでした。それどころか、この時期に自分が本当に歯科医師になるんだという夢を再確認できたように思います。しかし、入学できるかどうかも分からない不安な時期は、私の人生の中で最も辛い時期でもありました。
それでも、どんなに辛い時があっても、「浪人の時ほどしんどいことはない!」と自分に言い聞かせ、今でもその経験を思い出しながら、日々の困難に立ち向かっています。この経験が、私にとって大きな支えとなり、どんな困難にも立ち向かう力を与えてくれたと感じています。
大学時代は、何よりも「人に恵まれた」と感じています。私はバスケ部やバスケサークル、さらには新入生をキャンプに連れて行くサークル活動にも参加していました。その中でも特に印象深かったのは、新入生400人、先生100人、スタッフ100人を連れて行く1泊2日のキャンプです。このキャンプの運営に携わる中で、最終的には幹部まで任せてもらうことができました。
準備には半年以上の時間をかけ、先輩や先生方からのアドバイスを受けながら、私たちはみんなで力を合わせてイベントを作り上げていきました。1人ではできないことも、みんなで団結し協力することで大きな成果を生み出すことができる、ということを学びました。この経験は、私にとって人間的にも大きな成長をもたらしました。そして、このキャンプ活動を通じて、私が学んだことの1つは「歯医者1人ではできることに限界がある」ということです。
開業して医院を作り、スタッフ全員で団結してより良い医療を提供できる場所を作りたいという想いが芽生えました。今でもその時一緒に過ごした仲間たちは、私にとって大切な存在であり、その絆が今も支えとなっています。
「少しでも上手になりたい!良い医療を届けたい!」という強い思いから、私はなんばの歯科医院で勤務を始めました。1年目は、毎日診療後に練習を繰り返し、気づけば日付が変わってから帰宅する日々が続きました。週末には勉強会に参加し、インプラントや矯正など最先端の治療について学びました。このような努力を通じて、常にスキル向上を目指していたのです。
私が歯科医師としてのモチベーションを保ち続ける理由は、何よりも「枚方で良い医療を提供したい!」という思いが大きかったからです。この思いが、私の原動力となり、常に自分を高めるために努力を惜しまなかったのだと思います。
その後、開業に向けて経営を学ぶ準備をしている中で、地元で地域に根ざした歯科医院を運営されている医院を知り、見学に行かせていただきました。そこで感じたのは、患者さんやスタッフ全員が笑顔で、楽しそうに働いている雰囲気でした。すぐにその場で「ここで働きたい!」と決め、勤務を開始しました。
この医院での経験は、私の考え方に大きな影響を与えました。医院全体で患者さんに寄り添い、楽しく通ってもらうためのイベントを行うなど、患者さんとの信頼関係を大切にする医院像ができあがった瞬間でした。また、患者さんに対して単なる治療を行うのではなく、一人の人間として向き合うことの大切さを学びました。それによって、患者さんの人生をより良く、豊かにできることの素晴らしさを実感することができました。
※開院前につき、現在は繋がりません
診療時間 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
9:00~13:00 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
14:30~18:00 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
【休診日】 日曜日、祝祭日